1952年4月28日、『サンフランシスコ講和条約』の発効に伴い、沖縄、奄美、小笠原が日本から切り離された。この日以降、沖縄では、米軍が「銃剣とブルドーザー」を使って、次々と県民の土地を収奪。米軍機の墜落事故や幼女などに対する暴行・殺害事件が相次ぎ、沖縄県民は怒りを込めて、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ。
この4月28日を、現日本政府は、日本の主権が回復した日であるとして「主権回復記念式典」を開催。沖縄、奄美では、それぞれ政府の記念式典に反対する「屈辱の日」大会が開かれ、私も沖縄大会に参加してきた。
今も沖縄には、在日米軍施設の74%が集中している。そして、鳴り止まぬ騒音、なくならない事件・事故。普天間基地には、欠陥機オスプレイが配備され、さらに嘉手納に追加配備の計画もある。 「主権」もへったくれもない。問題は、沖縄県民だけのものではない。私が住む東京上空は、横田ラプコンと言って、米軍機が優先される。九州や沖縄方面から飛行機で戻る時、房総半島まで迂回して羽田に着陸するのは、そのためだ。全国30都道府県に米軍の施設がある国が、「主権回復」などと言っている場合かと思う。
沖縄大会の冒頭で、参加者は、戦後の祖国復帰闘争で歌われた『沖縄を返せ』を、スクラムを組み合唱した。その訴えは、思想も宗教も党派も超えている。応えなければならないのだ、私たちは。
『沖縄を返せ』
固き土を破りて
民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ
我等のものだ沖縄は
我等は叫ぶ沖縄よ
沖縄を返せ 沖縄に返せ