2012/04/27

屈辱の日


 4月28日は、『サンフランシスコ講話条約』が締結され、日本がアメリカの占領下から解放された日。この条約は、“サンフランシスコ平和条約”と、一般的に呼ばれたりもする。
 でも、4月28日は、沖縄が日本から切り離され、アメリカの統治下に置かれることになった日でもあり、沖縄では、この日を“屈辱の日”と呼ぶ。そして、その屈辱は、本土復帰40年を迎える今も、在日米軍の駐留という形で続いている。騒音、事件・事故は後を絶たず、危険な戦闘機の新たな配備など、沖縄の苦難は続く。
 写真は、普天間基地を、基地の北側にある宜野湾市役所から撮影したもの。お願いすれば、市役所の屋上に上らせてもらえると知り、今回の沖縄訪問では、絶対に行こうと決めていた。おじー、おばーが、グラウンドゴルフを楽しむ、すぐ側には、米軍のヘリと輸送機。アメリカ国内では、基地施設から市街地までは約900m離さなければならないが、ここでは100mもない。この矛盾、どう感じるか?


 宜野湾市役所から南へ徒歩で15分、丸木夫妻の絵画を所蔵する佐喜眞美術館に行く。原爆の図などで知られる丸木夫妻、この日は、沖縄戦の図を観ることができた。凛と空気が張りつめた館内で、用意されたイスに座り、真正面から沖縄戦の図を観る。改めて、反戦・反核こそ、人類が達成すべき崇高な目標であると思い知らされる。

 
 さて、普天間基地は、住宅地に隣接しているため、“世界で一番危険な基地”と言われているが、そのことは、佐喜眞美術館の裏手でも分かる。何せ、美術館は基地の真横。三方向を基地のフェンスと接する異様な感じ。


 宜野湾市役所の真反対、普天間基地の南側、嘉数高台から基地を臨む。住宅地のど真ん中に滑走路。数年前には、近隣の沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落するという異常事態も生じているのに、いまだ居座り続けている。
 しかも、日本政府公認で、仮に移転するなら、珊瑚礁など自然豊かな辺野古に滑走路を2本造ると言うのだから、呆れてしまう。こちらも日本政府公認の案。
 完全に沖縄を馬鹿にしている。この屈辱を晴らすため、沖縄の思いを共有し続けなければならない。