大学時代に所属していた文芸サークル「音楽研究会」。ここでは、『BEATNIK』という雑誌を作っていた。勧誘時に「好きなミュージシャンを取り上げていいよ~」という甘い言葉に誘われ入ったものの、そんなことはなくてですね、持ち込みの企画があえなく却下。
そこで、『BEATNIK』では出来ない企画をやろうと、当時二年生だった髙橋浩司、西部有司が中心となり、私ら一年生と共に企画・発行したのが、『FREAKS』。
ZIGGYと野沢直子のインタビューは、本隊で却下された私の企画。当時まだ18歳、公衆電話から、それぞれの事務所に企画を説明して、実現にこじつけた。ZIGGYは事務所で、野沢直子は、今はなき六本木WAVEでインタビューした。見返してみると、なかなか失礼な質問が並んでいるが、悪くないかとも思う。
他にも、GUNS&ROSES、DEADENDとX、UNICORNが、私が書いたもの。
他にも、GUNS&ROSES、DEADENDとX、UNICORNが、私が書いたもの。
創刊号と意気込んだものの、この一号でお終い。というか、この後、私が『BEATNIK』の副編集長~編集長になり、『BEATNIK』が、カオスと化していくのでした。懐かしい。